最近はやりのサンデル先生の本を読んだ。
ヤンデル先生じゃなくて本当によかった。
結局、哲学は昔からほとんど何も進歩していないという
事なのだろう。
アリストテレスとかその時代から大きな進歩は内容に思えた。
人の本質は昔からあまり変わらないと言うことであろうか?
これはドストエフスキーの宗教観も同じではないのか?
さて、平等というテーマについて何となく記述しておきたくなったので
今の考えをメモとして残しておく。
今の考えと言っても、今現在に思いついた訳ではなく、
高校時代には感じていた内容が、大学の頃に具現化し、
そのままで現在に至るというだけである。
高校の倫理の時間に、
平等と言うが、
全員に等しい量の収穫物を分けるのが平等なのか
成果に応じて収穫物を分けるのが平等なのか
というテーマを先生が言っていた。
面白い命題だと思う。
例えば、公務員の人が、
起業してたんまり稼いでいるというのを批判するが、
(気持ちはよく分かる)起業した人間はそれ相応のリスクを
取って現在の成功を収めたのであって、
全財産を失う可能性だってあったはずだ。
安全な道を選んだ人から搾取されるのはしかるべきではないと思う。
自分の答えはこうだ。人が生まれながらに平等でない要因として、
遺伝的才能・経済状態・社会的地位と人的資産
あたりがある。
政治家の息子が起業できたりするのは、
・両親の遺伝的才能を受け継ぎやすい
・よい教育を受けられる資金や、
自身が使える資金がある(リスクも取りやすい)
・社会的信用や、師とすべき人物に巡り会いやすい
という上記の3つの要因が影響して、
難易度を下げているのは間違いないであろう。
問題なのはこれらの要因には、おそらく
正の相関関係があるという事である。
すなわち、才能がある人間が上流階級(?)に生まれやすいという
偏りが容易に想像できる。
遺伝的才能以外は、必ずしも個人と結びつかない。
そこで、生まれてすぐに養子に出してしまえば、
3つの項目がそろいにくくなるという意味で
公平の「度合い」が進むのでは無いか?
国家レベルで子供をランダムにスワップするとしよう。
いい家庭にもらわれるかどうかは、運のみによって決められる。
才能もある意味、運によって決められるので、
運の偏りを除いては平等になる。
さらに、相続という考え方を認めなかったり、
子供にかける費用を規制する、などの方法で、
資金に関する運もある程度緩和できる。
これを推し進めたのが自分が理想と思える社会である。
できるだけ、遺伝的に才能がありそうな人間同士の
子供を”生産”し、養育所で子供を育てる。
子供の資産は一律で、ある程度の年齢になると
それをどう投資するかは自身で決定する。
それまでに家庭が必要であれば、”くじ”によって決める。
ひねくれているのは重々承知しているが、
平等を目指すのであれば、才能の純度も含めて
ある程度は人為的に社会システムを構築する必要があると思う。
この制度のネックは遺伝的につながりがある
我が子がかわいいという人間が多すぎる事であろう。
自分にはそういうところは無いと思うので、
こればっかりは何とも言えないが、
平等に近しいものを取るか、
格差を黙認して我が子を愛するか、
そのオルタナティブなのではないだろうか?
と、暗い話をしてしまうのであった。