丸亀城
丸亀城、瀬戸内を望む決して大きいとは言えないお城。
その城の造りに感銘を受けた。
現在の日本には12の明治以前に造られた木造天守閣が現存している。
その中でももっとも小さいものが丸亀城だそうだ。
だが、城塞としての機能を鑑みると、丸亀城は小規模ながら
実践的な縄張りとなっている、いや残っている。
国内の城や城趾は、いくつかの種類に分別できる。
大坂城や名古屋城などの広大な公園として整備された城。
逆に、本当に城があったことを示す石碑が一つあぜ道に建っているような城跡。
町のシンボルとして、天守閣のみを再建している城。これは本丸部分が付随する場合が多い。
複雑に入り組んだ堀の後は残っているが、街並と一体化している城。
そして、丸亀城のように、内堀の内側がリアルな城として現存、整備されている城である。
おそらくは丸亀城の内堀がしめる面積が他の大藩の城と比べて、
小規模であったため、その土地は開発や切り売りされなかったのであろう。
それ故に城としての機能が残ったというのは運命の皮肉だろうか?
それとも人生訓を暗示しているのだろうか?
さて、この丸亀城がどんな形態をしているかと言うと、
平山城に入るのであろうが、丸亀駅の南に10分ほど歩いた地点にあり、
小高い丘の上に天守が屹立(と言うほどでもない?)している。
駅の北側はしばらくいくと瀬戸内海の筈なので、
瀬戸内を航行する船からも遠くに望めたはずである。
城の周りは水堀が囲み、大手門は枡形門(門を入ると右側に曲がるようになっていて、
そこにもう一つ門がある)になっていた。
よほどの事が無い限り、水堀とこの門で敵を撃退出来たであろう。
内側に堀がある城も多いが、丸亀城は堀よりも石垣と櫓に力を入れていたようだ。
平山城なだけあって、傾斜がありほとんど石垣化されている。
現在はスロープがあったが、後に調べたところによると、
元来は城を2周してやっと本丸にたどり着ける構造だったようだ。
そして、本丸、二の丸、三の丸の頂点にはかなりの確率で櫓が建っている。
尤も、現在は櫓"跡"で、ちょっと見晴らしが良いスペースになっており、
往事の武者の眺めを堪能できる。
本丸にたどり着くまでに、従来は2周ほど、城の周りをくるくるする必要があったそうだが、
さすがに観光用に、”急な”坂道&階段が整備されている。
滑らないように気をつけつつ本丸にたどり着くと、4角に櫓跡があり、
北側の辺に天守閣が現存している。
天守そのものは控えなのであるが、城としての調和・
そして、天守という意味ではなく、城としての機能が
整備され、残されていると言うことに、賞賛を送りたい。