未来日記
ちょっと無理している感じがある。デスノート以来の制限の中の知能戦という設定だが、
イマイチルールが伝わりにくい。結局、”能力者”同士が戦うと日記は基本的に意味が無くなるということ?
6thの最後なんかを見ると、全然未来ではなくて、一瞬後でしか無いのだが、
それが分かるならいくらでも対策の立てようはあるよね。
読者にとっては、回答を見てああそう言うルールなら
そうなのかもねという納得は出来るが、説明不足のために、
状況を覆すためにどうすればいいかを連載中に想像出来なくなるので、すっきりしない。
この現象はジョジョの奇妙な冒険において顕著であって、そこがデスノートとの違いな気がする。
でも、最近は下手に説明しすぎるとネットで推理されてしまうってのが問題だ。
ネットにつぶされたのが20世紀少年だと思っていて、あれは完全に
ふくべえ=>服部=>ハットリ君で作者は考えていたと思う。
しかし、連載中からネットでこの説が出回ったために、急遽変更したように思えてならない。
名探偵コナンのボス=阿笠博士説もそうだし、ワンピースの海は一つでした説も同じ。
こう考えると、連載することのジレンマを感じる。
(デスノートはデスノートで、3年あって犯罪撲滅できていない時点でキラの負けなのだが、
そこに触れていないのが一番の失敗だと思う。最後も納得いかないが)
脱線しすぎたが、未来日記に戻ると、9thが重要キャラになるように、
特定の人気キャラを後付けで活躍させるというのはどうも嫌いだ。
エルフェンリートを彷彿とさせるヒロインの壊れっぷりはすばらしいし、
ヒロインや例のお助けキャラの設定は初めからしっかりしていたと思われる点は
非常に評価できる。逆に11thや8thのチート能力はやり過ぎた感は否めない。
一番使えない能力のはずの2ndがうまいこと生き残るのもちょっとね。
これ、アニメ化していいの?コッペリオンは今のご時世無理だとして、
それに続くくらいはまずいのでは?モザイクだらけ?
コッペリオン
何と、是政辺りから始まる多摩漫画。中河原出すなら、分倍河原も出してくれてよかったのに。
無人の東京で暴れ回るのはなかなか爽快だけど、中性子で空を飛んだり、
ミジンコが巨大化したりはさすがにやり過ぎなんだよね。
フィクションな作品はコメディでないのなら、フィクションな部分を一つに抑えないと
陳腐化してしまう。
遺伝子改良で放射線の影響を受けませんはOK、遺伝子改良ついでに身体能力も上げましたまではOK、
でも、遺伝子改良で電気を放出できるようになったり、中性子出せるようになるのはないだろうと。
(原発の事故なんかは現代常識に則ってるからいいんだけど)やり過ぎは興ざめなんだよね。
能力者バトルがやりたいなら、スタンドだすか、念能力出すか、せめて忍者+オーラくらいにしとかないと。
悪魔の実以上の設定だされてもねぇ・・・
その点、寄生獣なんかは、こんな生物が居ましたという設定にのみ乗っかって
作品として完結しているから腑に落ちる感覚がある。
敢えてあげると占い師の占いが当たってるというのはあるが、演出と考えればね。
他にフルメタル・パニック!も、ロボットといわゆる異能力者であるウィスパードが
共存する理由を作中で説明できているから納得だ。
海外ドラマだけど、LOSTも余計な超能力者は要らなかったと思う。
ちなみに、超常の力が2重にあって違和感をあまり感じないのがとある魔術の禁書目録だ。
世界観として超能力を科学に落とし込んでいるから、魔術というのが超能力と対立する
別の次元の概念として出てきても違和感が少ない。(ただし、主人公の能力はちょっと。
原作読んでないので、何とも言えないが)
ガンダムは、ギリギリアウトでギリギリセーフというところか。
ミノフスキー粒子があるからロボット(モビルスーツ)が生まれたというのと、
宇宙で生活したからニュータイプが生まれたという2つの概念があるが、
どちらも、ギリギリ今の現実の延長であり得るかもしれないという枠に
収まっているとすれば個人的にはありである。
ドラゴンボール世代がする話では無いのかもしれない。